鯉口ちゃん生きる

おかーちゃんの人生はおかーちゃんのもの

8か月になった娘に望むこと、2つ

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この後、昼寝から起きた娘にSを食われたため、8ヶ月目もmonthsチャレンジ失敗。

 

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気付いたら娘は全くずり這いをしなくなっていた。移動は全てはいはいに移行し、ズタドタ音を立てながら家中を動き回っている。赤ん坊とはあらゆる場所に行き、触ってほしくないものを触り、絶対に舐めないでほしいものを口に入れしゃぶり、マジ勘弁してくれという物を落とし、なんでそんなところに……と膝をつきたくなる場所に執着して、やめなさい! と悲鳴をあげたくなるものの上で転がり、大変器用でいらっしゃいますねアハハと感心して肩を落とすようなとろこでつかまり立ちをして、あああそっには行かないで! というところに行きたがる、つまり制御不能な生き物だ。なので柵をつけた。ようやくだ。どこにどのようにどんな柵をどう設置するか、家のインテリア一切を考えている夫が結論を先延ばしにし続け(彼の本当によくないところの一つ)、毎日娘の脱走の面倒を見ているわたしに「いい加減に決めないと明日にでも適当な物を適当に買って設置する」と脅された結果、ようやく決定・購入・設置にこぎつけた。娘のスペースを封鎖するように設置した大きく頑丈で部屋のインテリアをそこまで損なわないおかーちゃんが適当に選んだものではなくおとーちゃんが半月かけて選んだ柵を、最初は警戒しながらも興味深げに眺め、すぐに新しいおもちゃだ! と言わんばかりにはしゃいでつかまり立ちに行き、あれもしかしてわたし閉じ込められてない……? と気づいてからはギャン泣き大暴れをしてくださった、この間ものの5分ほどの大激変なので、赤ん坊というものは見ていて大変面白い生き物である。今は面倒を見ていられる間は柵を解放し、好きにあちこち這わせている。おかげでおかーちゃんは今、人生で一番掃除をしていると思う。

 

8ヶ月になった娘は喃語と言われるようなものを元気よく発声し、アバブーだのブエイだの色々言っている。両手をぶんぶん上下に振ってバーバーバーと笑うのと、両手を身体の前で結んで同じく上下に振ってキャッキャするのが最近のお気に入りみたいだ。ウッキャーとかギャハーとか叫ぶこともある。今日はおとーちゃんに離乳食をもらっている間なにやらめちゃくちゃ楽しそうでずっとウッキャーアッキャー叫んでいた。マンマもよく言う。マンマンマー! と怒っているときは「おじいちゃんマンマはさっき食べたでしょ」と返すのだが、大抵はマー! とさらにキレられる。なにはともあれ、伝えたいことがあるのはいいことだ。オタクおかーちゃんは他人に自分の萌えをあの手この手を駆使して伝えることでここ10年ぐらいを生き延びてきたよ。

 

かまり立ちを覚えてイキっているとは前回書いたが、ここ数日でA地点で片手離し、からの空いた手でB地点につかまる、からの両手B地点へ移動の離れ業をクリアした。具体的にはA地点ローテーブルからB地点おかーちゃんの膝へ移動してきた。昨日から片手離しをよくやるな~と思っていたらもう移動してきたので一瞬なにが起こったか分からなかったぐらいだ。どうにも「早く独り立ちしたい」欲の強い女らしく、つたい歩きには現状ほぼ興味がなく自力で立って自力で動きたいようだ。硬派だな。立ちたがりの登りたがりで、階段は2段目まで手が届き、ソファに乗せるとクッションをいくらでも登っていこうとする。片手離しの練習の中で「つかまり立ちした状態から座る」も何度か成功している。ついこの前までつかまり立ちをしたのが最後、にっちもさっちもどうにもブルドッグになって動けずにギャン泣きしていたのが、そろそろと様子を見ながらもドンッと尻から落ちていく、ということを練習しているようだ。向上心逞しい。逆に「立ちたくないときは絶対立たない」ということも覚えてしまったようで、肌着の股部分のスナップを留めるのにつかまり立ちをさせていたのが、ある日を境に足を突っ張らなく足裏を床につけなくなった。だるーんと伸びに伸びているくせに「断固立たない」という意思は鋼のように強い。こういう困ったところばかり親に似るのである、なおこれはおとーちゃん譲り。

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なかなかしっかりしたあんよ。太もものムチムチを支え切れるのが不思議でならないあんよ。

 

離乳食は2回食で、なんやかんや1回180gを食べる。好物はヨーグルトにブドウが仲間入りした。初めてブドウをやったとき「うわ! うま! やば!」という感じでガツガツ食べており、しかも今年はブドウが当たり年だと言う。ならばうまいものを食わせてやるか、と生協で注文したシャインマスカット様をあげてみたところ、口の中から出ていったスプーンを3度見ほどし「え……? なにこれ……? うま、うま……? 知らない……こんなもの……こんな、わたし知らない……」という推しの尊さに語彙を失ったオタクのような反応をしながらおずおずと口を開けていた(自分から口を開けて待つのは娘的には珍しい)。基本はヨーグルトでごまかしながらも、なんとか離乳食は食べてくれる。が、その反面、ミルクを本当に飲まなくなった。粉ミルクの缶に記載されている目安量の半分程度しか飲まない。その上、生まれたときから毎日使っている哺乳瓶を今さらながらおもちゃと認識して、途中で飲むのを辞めた哺乳瓶を転がして遊ぶという不良ぶりだ。なお生まれて以来完全に拒否し続けたおかーちゃんのおっぱいのことは、現在「つかまり立ちをするのにちょうどいいとっかかり」として好評活用頂いている。哺乳類としてどうなんだ。また、ミルク=水分量が足りないからか便秘気味だ。離乳食が始まれば便の質が変わるため、どうしても便秘気味にはなるのだが、なにせ離乳食以前とは比べものにならないほどかたくなるもので本人も踏ん張るのが大変そうだ。今は椅子に座っているときか、つかまり立ちをしているときに踏ん張っている。もう寝ながらではできないらしい。なんだか人類の本能を感じる。

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これは離乳食用に20分茹でたのに剥いたら半熟で「解せぬ!」と100回叫んだゆで卵。おかーちゃんが美味しく頂きました。

 

一人遊びは結構得意で、おかーちゃんの姿が見えないとギャン泣きするときもあるが「じゃあいいや」と一人で遊び出すことの方が多い。一人で絵本を開いたり、最近ではヌイグルミ(特にミッキーとミニー、顔がはっきりしているからかな)に何やらアーアー話しかけている。ふーんと思って覗くと「いやわたし何もしてませんし??」と言わんばかりにヌイグルミをぶん投げるので、何かよからぬことを吹き込んでいるのかもしれない。

 

この通り、8ヶ月の娘は激しく動くようになって確かに大変なことは多いが、見ている分にはとにかく面白い。まだ人未満だな、というところが、少しずつ、少しずつ人になっていく感じがする。出来ることが増えるとドヤ顔をして褒められるとさらにドヤる。世界を定期的に再構築している感じもする。毎日見ていたものにいきなり興味を持ち始めたり、これまで無視してきたものに執着したり。そんなに大きく世界が変わることはすんごい負担だろうな、と思いながら、まあがんばんなさい、と遠くから眺めたり八つ当たりされたりする日々だ。よくぶち切れてはいるのだけれど。

そんな、少しずつ人になっている途中の娘について「どんな風になってほしい?」と聞かれることは、社交辞令込みでよくある。その問いについておかーちゃんはかなり初期から回答を持っている。

それが「本を好きになって欲しい」と「自己肯定感の強い子になって欲しい」の2つだ。

 

本を好きになって欲しい。

おかーちゃんが本を好きだからだ。もっと言うと「本に救われた経験があまりに多い」からだ。それは心の救済であることもあれば、物語への耽溺でリフレッシュできたこともある。読解力の向上は勉学でも人生でも大事だ。分からないこと、誰にも聞けないことも本には答えがある。色々理由の羅列は可能だが、何より本は楽しいものなので、君も楽しいことをしようよ、という気持ちが一番近い。幸い娘は今のところ絵本が大好きで、本当に、静かだなと思ったら一人で絵本をめくっている、ということがよくある。読んでやれば興奮してバシバシ本を叩き、読み終わるともっともっととバシバシ叩く。好きなページでゲラゲラ笑い、読んでやる声にキャッキャする。ほとんどは本自体を楽しんでいる感じだが、やはり0歳なので、絵本を舐めたり囓ったり力任せに捲ったりは多い。こういうとき、カバーのついていない、全ページ厚紙でできた絵本だと悩まなくていいのに……と思うのだが「同人誌さー特殊装丁とか凝らなくていいよ、カバーなんて邪魔だからいらないし、全部フルカラー表紙クリアPP中とじにして安く売って欲しい」と言われたら「じゃあ来んな」以外の回答がないので、オタクおかーちゃんは黙って外したカバーを棚の中にしまうのであった。でも帯やハガキも一緒に保管してしまうオタクの性分はどうにかしたい。

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彼女の一軍絵本。

 

自己肯定感の強い子になって欲しい。

おかーちゃんはかなり自己肯定感の強い女だ。おかーちゃんは自分に自信があり、自分のことをすごいと思っている。その自己肯定感は実父が育んでくれたのだが、同じDNA同じ育て方をしても自己肯定感の大きさには個人差がある、と気付いたのは先日の帰省の際だ。姪かわいさに同時に帰省していた妹と父と三人で話していたときのことである。経緯は忘れたが父が「おまえたちもこの頃はかわいかったのに~」というようなことを言ったとき、わたしは間髪入れずに「今もかわいいでしょ」と言った。素だった。真顔だった。そして妹は「信じられない……」とどん引きしたのだ。「姉妹と思えない、わたし、そんなこと絶対言えない……」と。わたしは、少なからず驚いた。妹は末っ子らしくのびのびとかわいがられ、第一子長女のときはかなり厳しかった締め付けも大分緩くなり、自由に奔放に育ったと思っていたのだ。自己肯定感が低いなど、考えたこともなかった。だが実際、妹の自己肯定感は、自分をべたべたに甘やかした父に「今もかわいいでしょ」と言えないぐらい低かったのだ(なお父は、わたしの返しに「そうだな」と返すような男である)。

わたしは妹のことがべらぼうにかわいい姉だ。世界一かわいいと思っている。こんなにかわいくて賢く、誰からも愛される才能に溢れて面白い女、世界中探したっていないと思っている。思っているし、友人知人twitterではそう言ってる。だが、妹本人に言ったことはない。そしてもしかしたら、末っ子ゆえ、父や母にもわたしほどは言われずに育ったのかもしれないな、と思った。そしてそして自己肯定感とは、とどのつまりそういうことなのかもしれん、と思った。

もちろん本人の気質はでかい。妹は父曰く「石橋を叩いて叩いて叩来まくって壊した結果「ほら壊れた!」と怒って渡らないタイプ」なので(分かる)、経緯はともかくものすごく心配性だ。そしてわたしは「石橋をドッカンドッカンぶっ叩いた上でドカドカ渡るタイプ」らしいので(分かる)何をするにもパワー型だし気質からして自信家なんだろう(なお真ん中には弟もいるのだが、彼は父曰く「そもそも石橋を渡らないタイプ」なので今回の話とはズレるから省く)。妹のようなタイプは、ちょっとやそっと褒めそやしてもナチュラルボーン自信家のわたしほどは自己肯定感が育たないのかもしれない。

それでも事実という名の愛情をざかざか注ぐことが、褒めたい気持ちを黙さず全部言葉にすることが、自己肯定感を育てるほぼ唯一の方法だと思う。

なのでわたしは娘のことを、思ったままにかわいいかわいい賢く偉く面白い、君は世界一銀河一えらい赤ちゃん娘だ、と口に出して褒めようと、真実を、ありのまま口に出そうと、それを娘にざんざか降り注ごうと、そう思った。そしてそれを夫に伝えたところ「いいんじゃない?」と短く返された。夫は、何を隠そう自己肯定感のどちゃくそ低い男である。自己肯定感の低いところでダンゴムシになって拗れてぐっちゃぐちゃになっていじけることはないものの分かりにくい偏屈になった扱いの面倒な男である。自己肯定感の低さゆえに苦労したことが多い彼は、娘の自己肯定感を育むことには大賛成(「いいんじゃない?」は彼の最大級の賛成の意)だった。分かりやすい愛情表現を示すのが苦手な彼としては破格の愛情表現までしている。なので娘には「おとーさんがこんなに他人に構うなんてすごいんだぞー」と教えている。夫も「そうだぞー特別なんだぞー」と言っている。娘は、まあなんでもいいんで遊びましょうよ! とご機嫌だ。

 

健康も望むけど不摂生由来じゃない病気は仕方がないところがある。うちはおとーちゃんもおかーちゃんも病人なので、ままならないことが多いことは分かっている。それでもなんとか楽しく生きて君みたいな愉快な子供も授かったよ、ということを教えたい。その上で健やかたれと祈ってしまうのは、まあ、もうしょうがない、おかーちゃんなもんで。

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大人のハッピーセット。おじいちゃん酔っ払いながら文章書くなって先祖代々言われてきたでしょ!