鯉口ちゃん生きる

おかーちゃんの人生はおかーちゃんのもの

ハローニューワールド,パン子、ボンボヤージュ,まる子

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これは産後7ヶ月を過ぎても書き終わらずにいた陣痛から出産時の記録だ。

 

娘が娘でなく胎児だった頃、彼女(推定)の生命の名前は「パン子」だった。

妊婦日記を見返すと、妊婦検診で初めて性別を教えてもらった日のことが書いてあった。

 

21w4d 初めて出産後の夢を見た。12/11という予定日1ヶ月前に産まれた女児を抱いて、咲いたばかりの梅の花を一緒に見ていた。なんか問題なんかなさそうで楽しそうだった。その後妊婦健診。多分女の子だと思うとのこと。

 

妊娠が分かってから性別は多分女の子だろうな、とずっと思っていた。夫もだ。共通の友人たちもそう言った。誰も彼も、男の子だろうとはかけらも思わなかった。なんでかは分からないが、わたしで夫でその子供だから、男児は生まれないだろうなとなんとなく思っていたのだ。そんなわけでめでたく女の子が判明し、だが性格上、そして妊娠経過上、満足に喜んだりはしゃいだりすることもなく、ほうほうそうか予想通りねと表面上は淡々と過ごし、それでもそうか女の子か〜と思って「パン子」という胎児ネームをつけたのは、産休に入ってからだっただろうか。腹がパンパンで苦しかったのだ。だからパン子だった。

予定日より1カ月早く生まれる夢を見たこと、切迫流産・早産になったこと、巨大化した筋腫に子宮を圧迫されていること、周囲の知り合いおかーちゃんが軒並み予定日より早く生んでいたことから、パン子もなんとなく早く生まれるんじゃないかと思っていた。

の、だが。

待てど暮らせど出てくる気配がない。

 

臨月に入ったな〜もう生まれてもおかしくないんだな〜

正産期だな〜いい加減構えておかないとな〜

彼方のアストラ最終回にはかからないでほしいな〜でも先生も連載中にお二人目の出産報告してたしな〜

おしるし出てるな〜おしるしから2日以内には陣痛が来ることが多いらしいけどどうかな〜

年越し陣痛は嫌だな〜でも正月特番多いから病院でも暇じゃないかな〜ジャニーズカウントダウン見たいしな〜

年明けたな〜やっぱり予定日ぴったりで生まれたりするのかな〜きっちりした性格っぽいしな〜

 

まーーーーーーーーー見事に出てこなかった。

予定日だった1月11日、40w0dの妊婦検診で自治体にもらった無料の検診チケットが底を尽き、それまでに二度産科医による子宮口への刺激を受けひたすらウォーキングしていたものの、子宮口はギリギリ1センチ開いたか開いていないか。よっぽど出てきたくないんですね、と苦笑いされてから「誘発した方がよさそうですね」という話になった。陣痛誘発だ。薬で陣痛を促進し、分娩に持ち込むというやつだ。出産予定日である40wを過ぎると胎児に栄養を送っている胎盤機能がどんどん低下していくので、42w0dまでには分娩しなければならないのだ。

予定日超過1週間まで待ち、その後すぐにくる土日を越えて、41w4d、再来週の1月22日(月)が誘発分娩のための入院日と決まった(今考えると相当待ってくれている)。

 

ところでわたしの誕生日は1月20日だ。

そして今年の誕生日で、わたしはめでたく高齢出産の年齢となる。ここを越えたくないなあ……という気持ちが、結構あった。

だが出てきたくないというのなら仕方がない、というかできることが何もない。わたしは毎日ショッピングモールに赴き5キロ前後のウォーキングに励み(厳冬の極寒にマタニティアウターも持っていない妊婦がウォーキングできる場所は限られている)、家中の床掃除をし、パンパンの腹のパン子に向かって「今日出てきたら何がどれだけお得か」という説明を切々としていた。だが毎日きれいに無視され続けた。あざ笑うかのように胎動がズンドコズンドコ激しい。頑として今は出ないという強い意志を感じた。お得説明だったのは、わたしの娘なら合理的なことが好きだろう、逆に情に訴えられたら嫌悪感を示しそう、と思ったからだが、「他人の意見より己の意思に最も忠実」というDNAに阻害され続けたなと思う。ほんとに、似ないで欲しいところばかりよく似てくれる。

妊娠終盤、予定日超過ともなると、母体の限界は近い。わたしは妊娠中6キロほどしか体重が増えなかったが、着られる服はもうないし、予定日3日超過で妊娠線ができ、増えた腹の重さが足指にかかって巻き爪が悪化、最後の最後で血糖値が下がり切らずに6日超過で毎食後にインスリン注射を打つことになった(それまでは食後1時間の血糖値が120を越えたときのみ打っていた)。色々限界だ。だがパン子はちっとも出てきたがらない。前駆陣痛と呼ばれる陣痛の事前練習みたいな痛みにも慣れてしまった。

「この人、医術を駆使するまでずっと籠城してそう……」

そうやって悶々しんどく1週間を過ごしてやってきた41w0dの深夜、その日の午前中が最後の妊婦健診だという夜中のことだ。

 

<1月18日>

2:00

陣痛がきた。

……と言ってもドラマチックでもなんでもない。ファーストインパクトで「ああ貴方が陣痛さんですね」と分かるような分かりやすさは微塵もない。陣痛カウントアプリで痛み(大して痛くない)と無痛の間隔を計測し、規則的にやってきていると物理的に判断して初めて「陣痛かもしれない」となる。ファジーなのだ。案の定わたしも「うーん……規則的だと言えなくもないけど、これは予定日超過しているわたしの希望的規則性なのでは……別に我慢できる痛みだし……」とスマホアプリで陣痛間隔と思しき痛みを計測し、これはどうなんだろう……?と2時間ほどファジーを繰り返したがいまいちはっきりしない。そのうちスマホを握ったまま寝落ちした。そして朝まで寝た。

 

7:00

まだ規則的に痛い。

目が覚めてもなんとなく痛みが続いているので陣痛かなということにした。出勤前の夫にも「陣痛かもしれん」と伝える。だが、ここ1週間ほどそんな話を何度もしてきたので「うーん、なんかあったら連絡して、じゃあ行ってきます」ぐらいの反応だった。分かる。

 

8:00

陣痛間隔が10分を切る。

わたしの産院は初産の場合、陣痛間隔が10分を切ったら連絡することになっている。一応切っているんだが、相変わらず我慢できる痛みだし、もうすぐ診療時間になる。自分の診察時間も迫っているから先に出かける準備をして待つことにした。湯船を張って浸かり(そうするよう事前に渡されたマニュアルに書かれていた)、お湯を抜いて浴槽を洗い、家中にクイックルワイパーをかけた。別に綺麗好きなわけではなく、可能な限り動いて少しでも子宮口を開き空振りの確率を下げたかったのだ。

 

8:45

出発準備。

病院への連絡も終わり(検診予定も入ってるし、とりあえず入院道具持ってきてくださいということ)、さてと、わたしは車の鍵を持って考えた。正直、今の痛みなら病院まで30分弱の距離ぐらい自分で車を運転していける。そしてこの程度の痛みだから一旦帰ってくださいと言われる可能性が高いだろう。その際自家用車があった方が帰りやすい。昨日の昨日まで車を普通に運転していたわたしは結構悩んだ。実母の「3人目は自分で運転して病院に行った」という話も思い出し、まあそれは3人目だし、わたしは初産だし、陣痛なんて何が起こるか分からんしな、と当たり前の結論を出してはいるのだが「陣痛じゃなかったので一旦帰ってくれって言われると思うからその時車が欲しい、陣痛タクシー呼んどいて陣痛じゃなかったからまたタクシーで帰るってすごくいやだ、自分の車で帰りたい」というろくでもなくしょうもないことを考え続けて車の鍵をなかなか置けなかった。ちゃんと予約しておいた陣痛タクシーを呼んで行きました。

 

9:20

陣痛タクシーに乗り込む。

陣痛タクシーは女性ドライバーで、色々と気遣ってくれ、大変よかった。対価を払った他人の距離感がありがたい。

その頃の陣痛は、正直よく分からなくなっていた。痛いは痛いのだが、体面をとにかく気にするわたしは、これからどのように動きどんな状況になりどんなトラブルが起こり得るのかのシミュレーションに意識の9割を持っていかれていた。今思えばあんなもの序の口、大した痛みではなかったからシミュレーションなどできたわけだが、これから起こる全てが人生初、しかも命に関わることなどそれこそ生まれて初めての経験なので、とにかくありとあらゆる事態に備えておきたくてたまらなかった。出産関係は「全て人それぞれだから頭空っぽにして挑むように」みたいな指針がドーンと立っており、実際わたしもそうかなとも思うが、未知はともかく無知で挑むのは恐ろしいと思うし、わたしには向いていない。

 

10:00

外来で検診。

馬鹿でかい入院の荷物を担ぎ、陣痛にふうふう言いながら最奥の産科外来で予定してあった妊婦検診兼NST。モニターを見る先生、微妙な反応。「一応陣痛来てるんですけど……うーん……まあ予定日も過ぎてますし……一応入院してもらいますか……」なんとも歯切れが悪い。「一応、7時を陣痛開始時間ってことにしますね、駄目だったら一旦退院してもらうということで……」この時点でどでかい入院荷物をもう一度担いで帰宅する未来を覚悟する。

 

11:00

産科病棟に移動。

「一人でいけますか?」

と聞かれたら大丈夫ですと答えるしかない。強くなってきている痛みに耐え、痛みの時は歩みを止め、無痛の間にクソでかい入院荷物を抱え、外来から病棟まで歩いて10分の距離(総合病院はアホほど広い)を、じりじり、じりじり進む。陣痛の波が来るたび壁によってしばし耐える。また無痛になり荷物を抱えて歩き出す。痛みがなくとも予定日超過の腹の大きさで持って歩くには差し障りがあり過ぎる入院荷物だ。一人で行けなくはない。一人で行けなくはないけれども。

なんとか到着したら陣痛室に通され、ようやく荷物(出産用の入院荷物は本当に多い)を置けた。

「もうお昼ご飯の受付終わっちゃったから一階のコンビニで買ってきて、あ、ついでに入院手続きもしてきてくれる?」

わーたーしーいーまーそーこー通ってーきーたー。

とも言えないのでヒイヒイ言いながら今来た道を戻り、コンビニで昼ごはんを買い、入院手続きを済ませ、また7階の産科病棟に戻る。一人で行けなくはない。一人で行けなくはないけれども。できたけど!戻れたけど!

初産の妊婦にはもう少し優しくして欲しい。

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エネルギーになるおにぎりを食べれば血糖値は上がる。エネルギーになるおにぎりを食べなければ長い分娩を戦い抜けない。この剣を握ったままではお前を抱きしめられない。お前を抱きしめたままではこの剣でお前を守れない。

でも此の期に及んでも血糖値は測れっていうから……。

 

12:00

夫と連絡。

入院になったとLINEを入れた夫から「今すぐ早退して行ったらいい?」と電話。先の先生の言葉を繰り返し「わたしは多分退院になると思う、だから今すぐは来なくていい、定時まで病院で粘ってたら来て」と伝える。

 

12:30

昼食。

「食べ終わったら血糖値計測してインスリン打ってくださいね〜」

このストレス過負荷とおにぎり摂取で血糖値の上昇が止められるわけがないし(確か190)、この期に及んでインスリンを打てと言うのか(言われた)。陣痛で手が震えてるのに自己投与か。そしてわたしは陣痛の方がよっぽど痛いのにこの期に及んでまだインスリン注射を打つのにビビるのか。ビビりました。自分で自分の腹に注射針を打つのは結局最後まで慣れなかった。

病院で貰った脱脂綿と、医療ゴミである注射針を貯めておくペットボトルを忘れてきたと伝えたら「家族の人に持ってきてもらってください」と返された。難しい。確かにわたしが悪い。悪いと思う。こんなもの全部聞いていたら病院がパンクしてしまう。患者は自分でできることは自分でするべきだ。でももうちょっと優しくしてほしいよ……。せめて打ったインスリンの注射針と血糖値を測るのに使った針とシートだけ回収して欲しかった、だって医療ゴミだから病院で回収するんだもの。

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どっちも自分で針を刺す血糖値計測&インスリン注射、耐えられない痛みではないんだけど「なんかいや」ってずっと思ってた。食後1時間で血糖値が120を越えているとインスリンを投与、MAXが産休前切迫早産でストレス過多になっていた時の198。

 

13:00

耐える時間。

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痛いけど、痛いんだけど、痛みが消えると退院になる。あれだけ苦労して病院に来て、昼飯買って入院手続きまでしたのに帰るなんていやだ。車もない。もうこのまま痛くあってくれ……!と耐える時間。助産師さんが持ってきてくれた揺れる椅子(陣痛逃し)に跨ったり、モニターを見て陣痛の波を確認したり、ツイッターに「陣痛なう」とツイートしようとして「いやでも陣痛引くかもしれないし……そもそも出産に絶対はないし……わたしがこのまま死んだら最後に残るツイートが『陣痛なう』になる……見てる人が切な過ぎる……」と余計なことをもごもご考えてやめたり、でもTLに流れてくる推しのイラストには抜かりなくイイネを押したり、友達の出産記録ブログや出産エッセイ漫画やコウノドリの電子版を読み直して今陣痛がどれぐらい進んでいるのか確認しようとしたり、あの手この手。

tpb.hatenablog.com

 超読んでた友達の記録。

 

15:00

持参した前開きのパジャマに着替えるよう言われる。

マニュアル通り2着持参したが、そのうちの1枚でお産をするとは思っていなかったので驚く。病院着的なやつではないのか。多分それだとレンタル費用と手続きが必要なんだろう。でもわたしは持参パジャマで分娩台に乗る=血やいろんな体液がつく とは思っていなかったので、ちゃんと説明して欲しかったし、それならレンタルしたなとも思う。

この時に持参したヘアバンドも装着したのだが、こいつは本当にいい仕事をした。痛みに七転八倒している時に髪の毛がボサボサになるのを防ぎ、邪魔になるのも防ぎ、横になっていても邪魔にならず、産後ズタボロの状態で写真撮影をする際もまだなんとか見えるズタボロ状態に抑えてくれる。ボブ以上の長さなら出産の入院アイテムに断然おススメ、ヘアバンド。なおわたしの推しはカチューシャの男。

 

16:00

助産師さんの子宮口チェックで「いい感じの出血」が確認される。

 

17:30

「分娩するまで帰れま10」スタート。

外来を終えた主治医が様子を見に来る。子宮口の確認、と同時に生温い液体が流れ出る気配。「破水しましたかね?」「なんかそんな感じしましたね?」と試薬で確認するも、なんかいまいち破水っぽい結果が出ていない?とのこと。「でも破水だと思います!」そ、そうか……。

というわけで「試薬で確認したところは破水ではないかもしれないけど十中八九破水でしょう、破水ならばもう退院はなしでしょう」というフワッとした感じで「分娩するまで帰れま10」がスタート。

「経過は順調です、子宮口もゆっくり開いているし、だいぶ柔らかくなってきています、今晩中には産まれると思いますよ」

「こ、今晩中?」

「そうですね、朝までには」

「朝まで???」

「はい、今は大体折り返しってところですかね」

「もうすでに10時間苦しんでいるのに???????」

「はいー、順調ですよー、にこにこ」

順調とは。

 

※以降の時間表記は大体である。

 

19:00

夫到着。

わたしが忘れた血糖値計測用の脱脂綿と医療ゴミ回収用ペットボトルを持って夫が到着する。彼は陣痛前からわたしが産気づいたら「絶対痛みにまかせて当たり散らされる、暴言の限りを尽くされ、理不尽な嫌味を連発されても甘んじて受け、けれど自分は決して切れず、怒り狂う嫁のイエスマンにならなければならないんだろう……」と覚悟していたので、陣痛室にはかなり慎重に入ってきた。対するわたしは「絶対自我は手放さない、後世まで語られるような無様を晒すものか、パニックにもならない、常に冷静であれ、騒いだって痛みは和らがないしお産も進まないに決まってる……」と決意していたので、結論から言うと夫の心配していたような事態にはならなかった。彼が到着したときはまだ陣痛椅子に座って痛みを逃したり、陣痛が去ったタイミングでこれまでの流れと現状説明、今跨っている陣痛椅子の紹介(「この人がこれまでの半日わたしを助けてくれた陣痛椅子さんです」)、やってきた助産師さんに「夫は出産に立ち会いません、血がダメなんです、分娩台に移動したら1人でここで待ちます、産まれたら呼んでください」と伝えるなどできる感じだった。要するにまだ余裕、1人でいきみ逃しができるレベル。

陣痛間隔は5分、子宮口4センチ。これだけ苦しんで順調で子宮口4センチのみなのだから、今朝の検診時はよっぽど開いていなかったのだろう。

 

19:30

夕飯。

わたしの夕飯は配膳、夫はわたしが昼を買った一階のコンビニに行き自分の夕飯と夜食、わたし用のアイス(「食事が食べられないようなら冷たくて食べやすくエネルギー源になるアイスをがオススメです」とマニュアルに書いてあった)とお茶、水を買ってきた。あと、結局食べられなかったわたしの昼ごはんの残りもあげた。

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配膳、痛みが辛すぎて全然食べられなかった。

代わりにハーゲンダッツ・バニラを半分くらい食べたら当たり前だが血糖値は180ぐらいまで上がっていた。インスリンを打つのも難しい手の覚束なさだ。

 

21:00

陣痛椅子を使うのをやめ、ずっとベッドで横になるよう指示される。無痛の間は寝るためだ。陣痛間隔は7分くらい。トイレ(陣痛室を出て5歩くらい)に行きたい。便座に腰掛けるといきんでしまうので、いきまずに済む短い時間用を足して陣痛室に戻る、を繰り返す。なおトイレに行く際は必ず夫に付き添わせるよう言われているので、無痛のタイミングでわたしがトイレに向かうたびに夫もトイレの前のソファまで付き添わされる。

この辺りから下半身が自分の制御下に置けていないことを認める。そもそも妊娠後期は巨大化した子宮に腸と膀胱が圧迫され凄まじい便秘と頻尿になっている。もう四六時中強烈に出したい排泄欲に苛まされていたのだが、陣痛中はさらに倍、はらたいらさんに3000点って感じで、下半身がギューンゴーングリーンバゴーンッ!ってなってるこの排泄欲がいきみなのか尿意なのか便意なのか別の何かなのか全く分からない。

 

22:00

隣の陣痛室から聞こえる悲鳴が絶叫から断末魔に進化する。

 

23:00

いきみ逃しが1人では難しくなってくる。

痛みの波がやってくると呼吸が難しくなり、力まないようにしたいのに力まそうになる。息を吐くのが大事で、そのリズムを夫が作ってくれる。彼は以降わたしが分娩台に向かうまで人間メトロノームとなってくれた。陣痛間隔6分くらい、そのたびに「はー、はー、はー、はー」と言ってくれる彼に合わせて呼吸をすることでなんとかいきまずに済んでいた。

 

<1月19日>

0:00

子宮口6センチ。

ベッドの上で破水なのか漏らしたのか分からない液体が流れ出る。多分尿漏れだったんだろうと思うがナースコールでやってきた助産師さんはてきぱきと始末してくれた。わたしは祖母のスパルタの結果1歳4ヶ月でオムツの取れた女なので、己の下半身があそこまで制御できないのなんて赤ん坊以来だった思う。

 

1:00

陣痛間隔3分くらい。

陣痛が去り、無痛が来た途端寝る、それを無限に繰り返す。寝るというか、気絶。わたしもだし、ずっと付き添ってる夫もだ。陣痛室にこもってからでさえ12時間を越えているので、痛みがなくなるとそのまま意識が途切れ、次の痛みが来たら痛みで起きるを繰り返す。痛みでどうしても起きてしまうわたしに対し、わたしが痛み出した声で起きる夫もなかなか辛い。でももう彼のメトロノームなしで乗り切れる痛みではない。

 

2:00

子宮口7センチ。陣痛間隔2分。

助産師さんに「そろそろトイレに行く時ナースコールしてください、倒れられると困るので付き添います」と言われたので、行こうと思ってナースコールしたら別の助産師さんが来て「トイレ?旦那さん付き添ってあげてください」と言われて釈然としない気持ち。

痛みはもう、なんなんだあれ。

陣痛の間ゴルフボールでお尻をゴリゴリ押してもらわないとまじで出てきそう、でもどっちが?!という感じでもう下半身もぎ取りたい、自分ではもう無理なので夫にゴルフボールでゴリゴリしてもらう。これ、出産エッセイなどでは「ちがう!そこじゃない!役立たず!」と夫を罵り助産師さんにやってもらう、というのをよく見た気がするが、わたしは「ツボが外れてる」と判断できるほど下半身が支配下になかったため、なんでもいいからその辺押してくれわたしも分かんない!という感じで、罵りはしなかったがいきなりゴルフボール握らされた夫は困惑しただろうと思う、まあ配慮できる余裕はない、こっちはもういきまず呼吸をして子宮口が全開になるのを待つ以外なにもできない。

 

3:00

子宮口8センチ。

疲労と痛みと睡魔と痛みと排泄欲と痛みと痛み。

 

3:30

子宮口9センチ。

そう言われ「でもまだあと1センチも待つのかよ!」と絶望したら、その時の刺激で全開になる。「がんばりましたね〜じゃあ分娩室に行く準備始めましょう」マッハでやってくれ頼むわたしの下半身には一刻の猶予もない。

そう言った助産師さんが陣痛室を出て行き、ようやく産む段になったことを夫に労われる。彼は立ち合いをしないのでここで待つ。戻ってきた助産師さんは透明なカッパみたいなものを着ており、わたしが16時間七転八倒したベッドのの柵が外され、そのまま分娩室に運ばれる。歩かなくていいのか……とほっとした。なお、分娩室は陣痛室の目と鼻の先である。

多分この時点で3:50頃。

分娩室には二台の分娩台があり、お互いは見えないものの医師や助産師さんは行き来できるようになっているから声は丸聞こえという造りで、隣の陣痛室で絶叫し続けた方が今まさにお産に入っていた。わたしが短い無痛の間に運ばれてきたベッドから分娩台に移った辺りで産声が聞こえてくる。無痛時なので平気。助産師さんと2人、無事産まれたみたいですねと談笑を交わす。陣痛。子宮口全開の痛みはこれまでの比じゃない。「いーーーたーーーいーーーー!」とうとう叫んでしまう。痛いねそうだねと言われながら、腰を上げろと言われれば速やかに上げ、カバーの中に足を入れろと言われれば速やかに入れ、ハンドルも握らず、胸の上に手を置き、呼吸に集中して「もういきんでいいよ」と言われるまでいきまなかった、えらい、なんてえらい妊婦なのだ。ただここまでいきまずきたものだから、いきなりいきんでいいよと言われても「いきむとは……果たして……?」となりいきめない。ほんとにいきんでいいのか?切れるというし?やばくない???と悩みつつ少しずついきむ。助産師さんの掛け声に合わせていきむ。メリメリいってる。「いきむの上手!特に2回目!」もうどれが2回目かわかんないけどこれでいいならいい、でもわたしを励ますために適当なこと言ってるだけで本当は上手くないのかもしれない、分からない、とここにきてもまだ思考は巡る、いるんだ最後まで無心になれない妊婦は、頭空っぽにできない妊婦はいるんだ!とさらに勝手に頭が回りつつ助産師さんの舵取りに任せて3度目のいきみで「はい髪の毛見えてるよ!」と言われる。なんかこの挟まってるみたいなこれがそうなのかとりあえず出したい!早く出したい!痛い!このままここに挟まってた色んなものが切れる!痛い!!!とラストスパートのわたしと「先生発露ですー!」と隣の分娩室に声をかける助産師さん、「はーい」そういや先生まだ隣の分娩室で処置してたね!

分娩室に入って4度目の陣痛、4度目のいきみ、ようやく先生(この時初対面)も現れ、ずっと処置してくれていた助産師さんと、一緒にベッドを運んでくれたもう1人の助産師さん、そしてわたしの4人が1つの分娩台に集結、いーーーーあーーーーーいーーーーーーー!!!!下半身全部千切れる!メリメリメリメリすごい!呼吸!いきみ!でも手に力入れない!ハンドル握っていいよと言われてようやく握りいきむ、いたい、いきむ、いたい、いたい!「はい!呼吸!ハーッとして!」分かったよぉ!「はっはっは……」「はっはっはっじゃなくてハーーーーーッ!」医師と助産師全員の声がハモる、いやこのタイミングでその違いを理解しろって無理があ「ハーーーーーーーー!!!!!!」「はいーーーー足の間見てーーーーーーー」

 

2018年1月19日、AM4:00ジャスト。

分娩室に入ってからは10分足らず5分強。

とん、とこの世に出てきた。

 

バカになった下半身ではもう何も判断ができなくてポカンとしていたら、助産師さんに「どっちって聞いてました?」と聞かれた。「あ、お、女の子……」「そうでしたねーおめでとうございます、女の子」胸の上にタオルを広げられ「はい乗せるから抱えてー」と言われ、全身ガクガクの力が入らない状態で、胸の上に生暖かいものを乗せられた。

それが2943gだったパン子のハローニューワールド。

彼女はタオルの上ですぐにうんちをして「あ、コウノドリで見たやつだ!」と思った。ストレスがかかるとするらしい、特に子宮内で排泄してしまうと自家中毒になるらしいというやつだ。その話を友達にしたら「外に出てくるまでしないで偉かったね」と言ってくれてほんとだなと感心した。その排泄を除いて2943gの赤ちゃんだった。

少し頭が長くなっているのもコウノドリで見たやつだ!と思った。吸引はかけていないが、21時間もゴリゴリしていたので圧迫されていたのかな、これはやはりすぐ戻った。

わたしはまだぽかんとしていて、そこに同じくぽかんとした夫も連れてこられて、2人でぽかんとしたまま写真を撮り(もうすぐ連れて行くから早く写真を!と急かされた)、病院のカメラでも撮影され、産まれてからわずか2分ほどでパン子はNICUに連れていかれた。わたしが妊娠糖尿病でインスリン注射をしていたので、パン子は産まれる前からNICU入院が決まっていたのだ。残されたのはほぼ完徹で分娩に挑み疲れ果てて呆然とした夫婦のみ。ぽかんとしているがお互いヌルヌルの赤ん坊を抱き、呆然としたまま3人での写真などを撮った、ほとんど夢心地のままの記憶がある。よく分からないど産まれたんだね……という感じで揃ってぽかんとしてしまった。案の定母性の湧き出る感じなどは特になかった。不思議な気持ちだった。ほんとに赤ん坊が入っていたんだな……と感心もした。

わたしは会陰切開をいつされたのか気付かず、出血は中量に印で130g、いいお産だったと褒められた。当直の医師は若い男の先生で、多分、縫合の腕がめちゃくちゃいい人だった。初産だから比べようがないが、かなり細かく丁寧に縫ってくれたようで、入院中も特に痛みはなく、チェックされるたびに「きれいに縫われてますねぇ」と感心され、退院する五日後くらいには違和感もなくなっていた。

そして夫はと言えば、血が地雷なので立ち合いのみしなかった(気絶して邪魔しては悪いと気遣ったのだ)のに、分娩室が先述の通りの作りなので声は丸聞こえ、連れて行かれてすぐ産まれ、一番避けたかったはずの縫合を不可抗力で立ち合いしてしまい大層気の毒だった。まあここまでくると立ち合いしたも同然だ。なお夫の「血が地雷」は文字通り地雷であり、わたしが見ていた進撃の巨人二期1話をうっかりチラ見してしまって具合が悪くなり寝込んだ「目に入れるのも無理」というかなり繊細なレベルの地雷で、本人は地雷を自認して避けているのに「出産の立ち合いは注意書きあったけど縫合は書いてなかった」なんて、注意書きにうるさい腐女子なら炎上案件だ。

 

4:30

陣痛室に戻る。

持参のもう1着のパジャマに着替え、ベッドに横たわらせられて運ばれる。パン子の一通りの検査が終わるのが2時間後の予定で、その結果を聞きにNICUに行く。それまで休息だがお産が立て込んで病室が空いていないので、退院者が出て部屋を片付けるまでここにいてと言われる(最終的に昼まで待たされた)。実家に無事産まれた連絡をするとすぐ返信がきた。「鯉さんのご両親は起きて待ってると思うから連絡してあげて」と言った夫は正しかった。

お互いもう疲れ果てて頭が働かない。何はともあれ寝なければとわたしはベッド、夫はソファで仮眠。完徹出産、ほんとしんどい。

 

7:00

NICUに行く。

パン子の結果を聞きに行く。NICUは小児科のため階が違い、産婦人科の病室からは産婦の徒歩で5分ほどかかる。この時は車椅子を借りた。検査の結果、パン子にはひとまず異常なしで、これから詳しい検査を進め、問題なければ退院できます、という説明の途中で夫婦2人とも何度も意識を飛ばした。

 

8:00

当初の主治医が来る。

外来前に様子見に来てくれた主治医は「やっぱり夜の間中に産まれましたね」と笑い「とても安産でしたよ」と言った。確かにわたしは、陣痛は遠のかず、陣痛促進剤を使わず、子宮口が開かないこともなく、帝王切開にもならず、初産なのに4時間で産まれたこともなく、へその緒が首に巻きついていたこともなかった(これは全て友人たちの体験談だ)。出血は少ないし子宮の戻りも大層早かった。医療的な意味ではなるほど「超安産」である。

でも21時間苦しんだのはわたしであり、21時間の陣痛は超絶辛かったので、一般人的には「超がんばったね産」ということにして欲しい。超がんばった。

 

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パン子の産まれた1月19日の朝は「ああ、君はこの朝に生まれたくて41w1dまで待ってたのかね」とすんなり思えたほどの、ギラギラと明るい冬の朝だった。日本海側で生まれ育ったわたしは、太平洋側の冬の晴天に未だに馴染みがない。こんなに明るい冬の朝は、娘をこの土地で生まなけりゃ今でも馴染みがなかったかもしれない。

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そしてわたしは、翌日の誕生日を目前に一日早くおかーちゃんになったため、見事ギリギリで高齢出産を回避し、出産翌日に提供された病院のお祝い膳をわたし自身の誕生日膳として食べた。同日誕生日と高齢出産はパン子が回避してくれたんだろう、ということにして、向こう18年ぐらいは二日連続で誕生日ケーキを食べようと思う。

 

ところでわたしは今、娘を連れて実家に帰省している。

里帰り出産をしなかったので、今回の2週間という滞在は実家的にも初孫とめいっぱい遊べるいい機会になっている。「変化する家族の形」「親の老い」「ないと思ってたのに実家に全巻あったよBANANA FISH」等書きたいことは山ほどあるのだが、それはおいおい書くとして。

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このぼろぼろの単行本は、わたしが産まれてはじめて買ってもらった漫画だ。

 

何度読み返しただろう、何度真似して描いただろう。まるちゃんは、わたしの少女時代に確かにいた。お弁当を持って冒険に行ったり、シーチキンのノートをお姉ちゃんと奪いあったり、見たこともない南の島に行って現地の女の子とお友達になったり、大野君と杉山君の応援をしたり、一緒に色んなことをした、あの頃のわたしのお友達だ。

蟹缶を見れば「まるちゃん、百恵ちゃんへの差し入れにあげてたな、缶切りとマヨネーズと一緒に」と思って笑い、犬のフンを見れば「ひろしは犬のフンを踏んだすみれの靴の裏を拭ってやったな……」とまるちゃんに聞いたように思った。読み切りの「美人のおねえちゃんと比べられて惨めだったけど、あんなに美人のお姉ちゃんでも好きな人に好きになってもらえず泣くんだ」という漫画が大好きで、切なくて、自分の恋がうまくいかない時にあのおねえちゃんの涙を思い出した。

一人暮らしを始めたまるちゃんがトイレットペーパーを用意していなくて自分のトイレ一番乗りができずに悔しがっていたから、わたしは大学の寮を出て初めての一人暮らしを始める際、寮からトイレットペーパーを1ロール拝借していった。まるちゃんの失敗を見ていたから何はなくともトイレットペーパーだろうとずっと思っていたのだ。そういうところは年上の従姉妹みたいだった。

ノストラダムスはまるちゃんで知った。 親や学校に教えてもらったことのないことをまるちゃんからいくつも聞いた。そういうところも友達って感じだ。わたしの地元は夏休みが短く、8月も20日を過ぎた辺りで二学期が始まるが、8月31日に家族総出で手伝わせ泣きながら宿題を片付けるまるちゃんを見て「まるちゃんの住んでいる静岡というところは夏休みが長いんだなぁ」と思った。遠いところに住んでいる文通相手のような気持ちもあった。陣痛中、ずっと人間メトロノームと化してくれた夫は静岡の男だ。義実家や夫から新茶の話や防災の話を聞くたびに「ちびまる子ちゃんで見たまんまだ!」と笑った。あの頃は遠い文通相手の住んでいる場所でしかなかったところが、わたしのもう1つの故郷になった。

まるちゃんはわたしのお友達だった。

会わなくなっても事あるごとに思い出して笑う、小学校時代のクラスメートみたいだった。

多分、実際に同じ学年だったら、わたしはまるちゃんみたいなひょうきんで明るくて男子と対等にやり合いでも男女ともに友達の多い女の子とお友達にはなれなかったと思う。でもまるちゃんは「ちびまる子ちゃん」という漫画の中にいてくれたから、わたしはお友達になれた。

「そういうふうにできている」でまるちゃんは、産まれてきた赤ちゃんを「この世界への転校生」と言っていた。親は転校生を新しい世界で出迎える人で、右も左も分からない転校生へ親切にするのは当たり前、そう言っていた。子供の名前を公表しない理由も、子供を別個の存在として尊重しているところがあの時代のわたしには衝撃で、娘を産んでからは特に何度もまるちゃんのスタンスを思い出していた。

 

まるちゃん、わたし、女の子のおかーちゃんになったよ。

あなたは娘のお友達にもなってくれるんだろうって、疑ったことがなかったよ。

さみしい、さみしいよ、まるちゃん。

 

ご冥福をお祈りします。

 

ちびまる子ちゃん (1) (りぼんマスコットコミックス (413))

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そういうふうにできている (新潮文庫)

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