鯉口ちゃん生きる

おかーちゃんの人生はおかーちゃんのもの

オタクおかーちゃんがオタクおかーちゃんであることを伝える理由

オタクおかーちゃんのインターネットオタクライフは、メモ帳タグ打ち個人サイトがスタートだ。なまじタグ打ちから始めてしまったから今なおホームページビルダーは使えないがCSSとfloatの構造は理解できたしAdobeCC内のDWも使えるしテンプレートサイトの力を借りつつサイトも作れる、だが当時はフレーム至上主義、直リンク禁止、バナーは200×40サイズ、検索避け必須、規約を読み込み規定の作品数をアップしてからサーチとウェブリングと同盟に登録、2ちゃん全盛期で、ネチケットを何より重視する反面、ネット上での相手との距離感を測り損ねて黒歴史を量産、BBSとフリーメール、サイトに設置したメールフォームとweb拍手、匿名性をいいことに多発する荒らしへの対抗策はアクセス解析、indexに.htaccessを埋め込み特定のIPアドレスを弾いていたあの頃を経て、現在はSNS全盛、同人誌の奥付にはpixivとTwitterのアカウントを記載し匿名攻撃は捨て垢、対抗策はブロックと通報へ変化した。なおこの導入文は特に読まなくても問題ない腐女子オタクおかーちゃんの懐古趣味キャプション芸風オタク特有一気長文語りである。

 

個人サイトはワールドワイドウェブにリンクした「自分の場所」である。だが「女性向け二次創作サイト」の時点で、作品展示と萌え語りという「コンテンツ」以外は嫌がられる傾向があったな、と思う。これは多分今もある程度残っている空気感だと思うが、即時的ですぐ流れていくツイッターよりも個人サイトでのプライベートの話は嫌われた気がする。時代の流れも、まああったと思う。

ここでふと考える。「コンテンツ」とはなんだろう?

「女性向け二次創作サイト」におけるコンテンツは「二次創作」だが、「二次創作」が「コンテンツの全て」ではないよなあ、と。

偏屈なオタクのたわごとだが、もうちょっと続けさせて欲しい。

ツイッターがオタク界隈で爆発的にヒットし、何年もかけて共通ツールとなった今、わたしには数年に渡り毎日「物の考え方」を眺めている人たちがいる。元は「そのひとの発表する女性向け二次創作」というコンテンツからフォローしていても、今ではその作品のみならず、そのひとの物の考え方・視点・ライフハック等々「そのひとの発信するもの・ことすべて」が「コンテンツそのもの」になっていることが結構ある。

 

さて、オタクおかーちゃんとなったわたしは、今小説を書いていない。つまり二次創作というコンテンツを持っていない。今は脳みそが働かないのとその他物理的理由などで無理だとはっきり思う。妄想に割いていたリソースをほぼほぼ全部赤子に費やしている感覚だからだ。それと同時に、物語を見て読んで揺れる情動が愚鈍化していると感じるからだ。インプット能力もアウトプット能力もどちらもうまく動かせない。娘が生まれるまではそれはオタクのわたしにはないと生きていけない力だったから、逆に今は、なくても生きていける力なんだろう。

でもいつかはまた書きたい、読んでもらいたい。でもそうやって漫然と思っていても書けるようになる確率は低いだろう(ゼロとは言わない)と思ったから、いつかまた書けるようになるためにこのブログを始めた。字を書くオタクなので娘のことを書きたいと思ってこのブログを始めた。できることをやっていってその先にまた小説を書けるようになりたい。書きたくて書きたくてたまらないものを書いて発表して読んでもらいたい。わたしは腐女子オタクだが、それと兼務で「なにかを作り、それを発信したいオタク」なんだと思う。

「おかーちゃんになったオタクがオタクおかーちゃんとして再び自分のオタク人生を謳歌するまで」

その足跡や、試み、考え、ライフハック

それは「コンテンツ」なんじゃないかなと、オタクおかーちゃんは思った。何故ならそれは、今のわたしが一番欲しいコンテンツだからだ。

あまりにもトラブル多発だった妊娠期間、「腹の中の赤子が無事生まれてくるか」ということを極力考えないようにしていたわたしは、代わりみたいに「わたしのオタク人生ってこれからどうなるのかな」ということをよく考えた。そしてそのたびに先輩オタクおかーちゃんたちのことを思った。子供を生み、育て、働き、たくさんの力で自分の時間を捻り出し、その時間の中で作り出された作品を思った。彼女たちの人生を思った。どれだけわたしの励みになってくれたことだろう。

いつかのわたしを救ってくれたものは、いつかの誰かを救うかもしれないし、救われるかもしれないその誰かによって、いつかのわたしが救われるかもしれない。そしてそれは、とても素敵な話なんじゃないかなと思う。

 

昔々、オタクおかーちゃんがおかーちゃんでなければオタクとしての熱量も弱かった頃に就いた仕事は「文章″も″書く業種」だった。メインは文章ではなく、メインこそが苦手だったわたしはよく叱られたし向いてなかったなと諦めもついた。諦めるには結構な年数がかかったが、もう諦めた。あの仕事で食っていく人生を諦めて、あの仕事では食っていけない自分を許した。在職中、部署の違う上司に夜中の喫煙所で「ここだけが戦う場所じゃねえだろう」と言ってもらった、そういう言葉を何年もかけて飲み込んで諦めた。言葉を生業にするひとにもらった言葉の、なんと力のあったことだろう。

「あなたの文章を書く力は才能、誰もが欲しがってでも手に入れられない宝物、大事にして欲しい、仕事を離れても書くことだけは生涯辞めないでほしい」

一番お世話になった先輩が、一足先に辞めていった(言うても離職率がとんでもない激務で職場に既婚女性は1人もいなかった)その去り際くれた言葉だ。言葉を生業にするひとにもらった言葉の、なんと力のあったこと、どれだけわたしの励みになったこと。わたしが、書き続ける理由を見つけるのが難しくなっていく毎日の中で、それでも書くことを今なお諦めずにいられるのは、そういうたくさんの救いがあったからだ。

いつかのわたしを救ってくれたものは、いつかの誰かを救うかもしれないし、救われるかもしれないその誰かによって、いつかのわたしが救われるかもしれない。それはとても、とても素敵な話なんじゃないかなと思う。

 

f:id:skikt:20180617214706j:imageいつかのわたしを救ってくれるもの、具体的には寝かしつけのあとなど、そうつまり今。